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フェルデンクライス・メソッドの教室:Awareness Through Movement


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07.学び方を学ぶ

learn to learnの実例集です。

恐怖を意志で押さえつけないで学ぶことができるのかな?

フェルデンクライスのレッスンのワンシーンを映像でちょっと撮ってみました。
頭で逆立ちをすることを学ぶ過程です。
みなさんとっても上手にやってますね(^-^)

ちょっとだけ、レッスンの解説しておきますね。

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過程はなぜ重要なのか

Women
フェルデンクライス・メソッドはあなたがどのように目的を達成しようとしているかを観察して考える事を勧めています。どんな子供でも成長しながら学ぶ基本的な技術は、この学び方によっています。子供のころは、自分がしていることについて考えて、時間をかけて、注意深く、あわてないようにと言われます。この指示は子供が目的を達成するための手段です。どのように目的を達成するかに十分な注意を払わないと様々な問題が持ち上がったりします。

いままでに一生懸命にやろうとすればするほど、もっと目的を達成する事が難しくなったことを発見した事がありませんでしたか?

例えば、もっと肺活量を上げようとして、呼吸のエクササイズをしたら、かえって身体をもっと緊張させてしまって、自然に、十分に、そして、自由に呼吸するための本来備わっている潜在する可能性をつぶしてしまったりすることってあります。それはあなたはこの呼吸のエクササイズに集中しすぎて、結果をあまりにも早急に結果を得ようと頑張りすぎすぎて、本当のところは自分を挫折させようとしているからかもしれませんね。
あなたが望むものを得ようと決意して、過度の筋肉の緊張を起こすので、かえって目的を妨げてちゃうわけです。

日々の生活ってしなければならない事と行動の長いリストからなるんじゃないかって、けっこう思ったりします。終わらせた後で楽しむ考えてできるだけ急いで、これらの仕事をかたずけようと焦ります。で、うんざりする仕事になってしまって、結局毎日の生活を楽しめなくなったりします。終わらそうと急いだり、なんとかしようとかもがいたりして、自分で引き起こした過度の筋肉の緊張のため、うんざりする行動になってしまうのですね。それは、目的を達成するための過程が壊されたことでできる悪循環だったりします。

小さい子供のように自分で発見する必要があります。最初から初めて過程をたどってみましょう。そうしないと、夢や理想は今までのやり方を変えないばかりか、害となることもあります。 フェルデンクライス・メッソドで、自分がどのようにやっているのかそしてより正確な自己認識をする感受性を発達させることができます。
遅れることを恐れて間に合わせようと頑張るだけで、自分のリズムと調子を整える必要があることを忘れる傾向があったりしませんか? 健康と医療ランキング [人気blogランキング]></a>

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機智を学ぶ

Wits
ミルトン・エリクソンが若い頃の有名な逸話です。
家の敷地内に迷い込んできた馬の話です。

その馬にはどこのだれの馬かを示すようなものは何もありませんでした。
エリクソンは、持ち主にその馬を返そうと思いました。そのために彼がしたことは、
ただ馬にまたがり道を行かせ、馬に行き先を決めさせたということでした。
彼は、馬が草を食べようとしたり、野原にさまよい出でようとして、道をはずれそうになったときだけ、そうさせないようにしました。
ついに馬が、数マイル先の農場にたどり着いたとき、
その馬主は「どうしてこの馬がうちの馬だとわかったんだい?」と尋ねました。
エリクソンは
「僕は知りません。でも馬が知っていました。私は馬を道に乗せてやってきただけです。」
と言いました。

エリクソンの話す逸話はとても多様性を含むものですね。人は本人が思っている以上に知っているということかもしれません。あるいは、適切な環境を整えれば、人は自分で学び進んでいけるということかもしれません。

ここでは、ちょっと機智ということを考えてみたいと思います。その場の状況や変化に対して、即座に機転をきかして対応することについてです。力の弱い背の低い男が背の高い屈強な大男を倒す柔道や苦難に満ちた状況の中で生き残るユダヤの文化でつくられたフェルデンクライス・メッソドは機智を育て学べる方法論の要素があると思うのです。機転は生きていくために大事な能力じゃないでしょうか。

でも、単純な反復練習では新しい状況下で起きることに対応できません。ある一定のパターンを記憶し、固定するといった運動問題の解決法は多様な環境の中ではむしろ不利益をもたらします。変化に満ちた環境ではある瞬間に最適であった動作でも、次の瞬間にはその場にそぐわない不適切な動作になり得るからですね。

フェルデンクライスのレッスンは未経験の問題の即興的な解決の要素がありますよね。レッスンで動きを繰り返すことは、機械のように同じ動きを再現するために行うんじゃなくて、繰り返しの目的は課題解決のプロセスを反復することにより、よりよい解決策を編み出す能力を編み出す能力の獲得ためです。

フェルデンクライス博士は自分の弱さに負けてしまえ、その中にあなたの才能を生かす道があるなんて言います。そして、フェルデンクライスのレッスンはオプション(選択肢)を持つことの重要性を指摘します。多様な解決プロセスを探求する事が予期せぬ新たな状況に置かれた時に、記憶しておいた動作をそっくりそのまま再現する能力ではなく、その状況に適した新たな行為をその場で作り出す能力を増すことになるのでしょう。未経験の問題の即興的な解決法を探れます。

問題の身体的側面を扱うことの意味

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ふぇるでんは心と体の問題を行動を変えることから対処するアイデアを得たようです。大地とのつながりと再生という巻物をまた読んでいます。

合理的な方法は上達が何によって阻まれているかを見つけ出すことです。
ほとんどの場合、骨盤と頭の習慣的不完全な制御をしている生徒の心の葛藤を解決できます。

十分な改善がされてからだけ、現実の試験である競技会は自立というより高いレベルに生徒を導く公正なチャンスとして試されうるのです。

もちろん明らかなように、どんな特定のケースにでも当てはまるような厳密な規則を提示することは、不可能です。経験豊かな先生ならそうすることができるでしょうが。

幸いなことに、そのような先生がいない場合でも、その問題の身体的側面を扱う包括的な戦略を勧めることができて、学生により良い状況の下で自分の感情的なもつれを見つけ出すことに専念できるようにしておけます。

多くの場合、頭と骨盤の習慣的で不完全なコントロールを調整する事を学べば、この心の葛藤を解決できるということか。でも、包括的な戦略ってなんだろう?

理想的な試験とは

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この問題って、世間一般の試験の抱える問題と似ているよね。
窓辺から声が聞こえました。ふぇるでんが振り返ると、その声の持ち主は咳払いをしてから、にこっと笑って説明を始めました。

良い先生なら生徒が自立して、自分を確立することができる能力がある事を生徒自身に納得させるような試験を用意するでしょ。
試験が生徒を押しつぶして、打ち負かす試練なら、そのような経験を繰り返すと生徒がより上手な技量の持ち主に治療されれなきゃならない患者のようになってしまうことでしょうね。

彼はトレードマークの尻尾をひるがえして去っていきました....

さて、ここまで読んでいただいた、みなさん。皆さんならどんな試験を考えますか?え?試験を受ける事はもうないって?じゃあ、状況をリフレーミングしてみましょう。

例えば、膝が痛くて、近所の駅に行くのもやっとなジミー君がいます。ジミー君は絵を見る事がとっても好きです。そんなときの試験はヨーロッパの有名な美術館に行く旅行にするなんていうのはどうですか?もちろん、いきなり海外旅行なんて、ステップが高すぎます。むろん、そこまでの過程を考えて、徐々に工夫していきますよね。エレガントにやるなら、ジミー君にこの旅行が試験だと気がつかないようにすると、もっと効果的なんでしょうね。ジミー君がいろいろあったけど、元気に帰って来きて。そして、もっとヨーロッパの文化を研究してから、また行こうなんて話していれば、問題はシフトしてますよね。続く

両刃の剣

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ふぇるでんは心と体のつながりについて考える必要があると考えました。身体論?ソマテック?教育?

習慣的になり気がつかない不完全なコントロールを生じさせ得る原因は強い感情的な力が成熟に向かおうとする正常な成長を妨げた個人の経験によります。

したがって、人は、未熟な観察者にとっては全く理屈に合わない感情的なアプローチ(それは個人特有の鏡で外部の出来事をゆがめます)をします。

そのような人は、耐えられないほどの打ち負けかせられる屈辱的な経験を自分の中に見いだします。

さらに、彼は中枢神経系から出された筋肉の行動命令が動くな!という矛盾する衝動と統合されなければならない精神状態で、敵に立ち向かいます。

ずっと体を堅くしてしまって、技術が必要な行動は実行するのはまったく無理です。姿勢の強制的変化による不安がいつもあります、さらに、その筋収縮の状態をあらゆる行為で変化させなくてはなりません、それゆえに、常に行動の遅れがともないます。

したがって、彼は相手ではなくて彼自身によって打ち負かされたように感じます。同種の悪循環行動は、ほとんどの心理的な問題で観察されます。

成熟を進めるための手段として盲目的に競技に頼ることは、両刃の剣となります。

なるほどね。続く

異なる面から考えてみること

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「その方針はあてずっぽうじゃ!」
え?もしかして、闇夜の銃声ってa shot in the darkのことっていう、ベタなオチ(^^;)... 気を取り直して、闇からの声を聞いてみましょう。

この状況が理論と技術的な詳細の詰め込みすぎによるものなら、学生は経験で成長して、競技会の後でより良くなるでしょう。

でも、別の面から考えると、彼が習慣化されて気がついていない、不適切な振る舞い方で、成長することを止めてしまえば、二重に打ち負かされます。このときの失敗を認めて去るだけでなくて、自分は完全に失敗者だという個人的信念を持つでしょう。

適切に振る舞えるまで成長して、特定の技術が不足しているだけである人ならば、出来事に健康的にとりかかるやり方も持っているものです。もし、打ち負かされたら、相手のより大きな能力または強さの理由がわかります。
きっと、そのような人の最初の反応はこうでしょう:
「ああ、やつは、僕よりすごすぎる。」
それから、考えて:
「僕は、これとあれが違っていたんだな。この状況に対処する方法を学ばなきゃならない、だって、やつは神じゃなくて、むしろ、僕自身と似ているのに、問題なくマスターしているみたいだから。」

羽ばたく音がして何者かが去っていきました。続く

コンテストに出てみれば?

Wizard01_3
ふぇるでんはますます修行に励んでいます。本を読んだり、練習したり一生懸命なんです。でも、なんだか空回りしている感じがして悩んでいます。先生に相談すると、なんと!、魔法競技会に出場することを勧められました。「なんで、戦わなきゃいけないのかな?」なんて思って、学校のスランプ脱出法講座に出席してみました。そこでの講義はこのような内容でした。

このような状況が起こるとき、学生は
「理論と技術的な詳細にあまりにもこだわりすぎてるな」
とたいてい言われます。

運動性の下位中枢に対する意識的な抑制がある場合には、これは明らかにその通りです。そこで、多くの先生は、改善手段として競技会を勧めます。そして、このやり方はたいていとても効果的なのです。

感情的な緊張感が高くなればなるほど,自発的にコントロールして望まれた結果を効果的に達成できなくなります。そういうわけで、的を得た行動であれば障害を取り除きます。

授業が終わって外に出てみると、外は真っ暗です。暗闇の中、歩いていると突然、銃声が......ど、どうする、ふぇるでん、ライフカード!.........続く

人は決まった態度を取り続けている

Wizard01_2
ふぇるでんは夢の中で不思議な声を聞きます。

けっこう大きな集団の普通の人たちの中で頭角を現せなくて、スランプに落ち入っている人を見ると、その人は心と身体を習慣的に適切に制御をしていないことをほとんど例外なく観察できるんだ。

仲間との屈折した感情的な関係とともに、骨盤と首-肩関節を適切に制御していないことを普通、発見できる。

関節群の動きはガチガチで、やろうとしている事とは関係のない、予め決めた態度っていうのをとるんだ。

その結果として生じる寄生的な筋収縮は、どんなすばやい動きをするときでも、反射的で半自動的な身体の立ち直り反応を妨げるのさ。

予め決めて習慣化した態度は、あらかじめ準備してからの自発的な努力をしないと止めることができないから、ほとんどの場合、機会を逃してしまうんだ。

ふぇるでんはその話を聞いて、うつら、うつら、考えはじめました。
予め決めて習慣化した態度って、例えば、怖そうな人の前に立つ時、ついつい、うつむいちゃうってことかな?で、自分でそうしている事に気がついていないっていうこと...で、実際は優しい人だと思っても仲良くなるチャンスを逃しちゃっているとか。えーと、......
そして、目を覚ますと夢のことは忘れてしまいました。続く

時にはスランプに落ち入る事もあるよね。

Wizard01_1
楽しく魔法修行をしているふぇるでんでしたが、最近また落ち込み気味です。なんか、始めた頃の新鮮さがないな、これ以上やってもだめなのかななどと、ちょっと虚無感のような重い気分がします。そこで、また、大地とのつながりと再生という巻物を開いてみると

多くの学生はあるレベルまで上達しますが、それから、進歩が止まったり、さらには後戻りさえします。
これは、特有の周期で学習の全てのプロセスにおいて起こることです。

そのとき、我々の心に浮かぶ事は「もう長いこと研究してきたので、もう上達することはできないだろう」ということです。

そのとき、学習能力の「生まれながらの能力」の限界に達してしまったかのように、そして、わずかに洗練することだけが本当にできることだと、生徒と素人さんは思うようです。

ふーん、ということは続けていれば、時間が解決するっていうことかな?それとも、なにかやれることがあるのかな?
熟考、熟考、熟...熟睡 続く...