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フェルデンクライス・メソッドの教室:Awareness Through Movement


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異なる面から考えてみること

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「その方針はあてずっぽうじゃ!」
え?もしかして、闇夜の銃声ってa shot in the darkのことっていう、ベタなオチ(^^;)... 気を取り直して、闇からの声を聞いてみましょう。

この状況が理論と技術的な詳細の詰め込みすぎによるものなら、学生は経験で成長して、競技会の後でより良くなるでしょう。

でも、別の面から考えると、彼が習慣化されて気がついていない、不適切な振る舞い方で、成長することを止めてしまえば、二重に打ち負かされます。このときの失敗を認めて去るだけでなくて、自分は完全に失敗者だという個人的信念を持つでしょう。

適切に振る舞えるまで成長して、特定の技術が不足しているだけである人ならば、出来事に健康的にとりかかるやり方も持っているものです。もし、打ち負かされたら、相手のより大きな能力または強さの理由がわかります。
きっと、そのような人の最初の反応はこうでしょう:
「ああ、やつは、僕よりすごすぎる。」
それから、考えて:
「僕は、これとあれが違っていたんだな。この状況に対処する方法を学ばなきゃならない、だって、やつは神じゃなくて、むしろ、僕自身と似ているのに、問題なくマスターしているみたいだから。」

羽ばたく音がして何者かが去っていきました。続く

コンテストに出てみれば?

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ふぇるでんはますます修行に励んでいます。本を読んだり、練習したり一生懸命なんです。でも、なんだか空回りしている感じがして悩んでいます。先生に相談すると、なんと!、魔法競技会に出場することを勧められました。「なんで、戦わなきゃいけないのかな?」なんて思って、学校のスランプ脱出法講座に出席してみました。そこでの講義はこのような内容でした。

このような状況が起こるとき、学生は
「理論と技術的な詳細にあまりにもこだわりすぎてるな」
とたいてい言われます。

運動性の下位中枢に対する意識的な抑制がある場合には、これは明らかにその通りです。そこで、多くの先生は、改善手段として競技会を勧めます。そして、このやり方はたいていとても効果的なのです。

感情的な緊張感が高くなればなるほど,自発的にコントロールして望まれた結果を効果的に達成できなくなります。そういうわけで、的を得た行動であれば障害を取り除きます。

授業が終わって外に出てみると、外は真っ暗です。暗闇の中、歩いていると突然、銃声が......ど、どうする、ふぇるでん、ライフカード!.........続く

人は決まった態度を取り続けている

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ふぇるでんは夢の中で不思議な声を聞きます。

けっこう大きな集団の普通の人たちの中で頭角を現せなくて、スランプに落ち入っている人を見ると、その人は心と身体を習慣的に適切に制御をしていないことをほとんど例外なく観察できるんだ。

仲間との屈折した感情的な関係とともに、骨盤と首-肩関節を適切に制御していないことを普通、発見できる。

関節群の動きはガチガチで、やろうとしている事とは関係のない、予め決めた態度っていうのをとるんだ。

その結果として生じる寄生的な筋収縮は、どんなすばやい動きをするときでも、反射的で半自動的な身体の立ち直り反応を妨げるのさ。

予め決めて習慣化した態度は、あらかじめ準備してからの自発的な努力をしないと止めることができないから、ほとんどの場合、機会を逃してしまうんだ。

ふぇるでんはその話を聞いて、うつら、うつら、考えはじめました。
予め決めて習慣化した態度って、例えば、怖そうな人の前に立つ時、ついつい、うつむいちゃうってことかな?で、自分でそうしている事に気がついていないっていうこと...で、実際は優しい人だと思っても仲良くなるチャンスを逃しちゃっているとか。えーと、......
そして、目を覚ますと夢のことは忘れてしまいました。続く

時にはスランプに落ち入る事もあるよね。

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楽しく魔法修行をしているふぇるでんでしたが、最近また落ち込み気味です。なんか、始めた頃の新鮮さがないな、これ以上やってもだめなのかななどと、ちょっと虚無感のような重い気分がします。そこで、また、大地とのつながりと再生という巻物を開いてみると

多くの学生はあるレベルまで上達しますが、それから、進歩が止まったり、さらには後戻りさえします。
これは、特有の周期で学習の全てのプロセスにおいて起こることです。

そのとき、我々の心に浮かぶ事は「もう長いこと研究してきたので、もう上達することはできないだろう」ということです。

そのとき、学習能力の「生まれながらの能力」の限界に達してしまったかのように、そして、わずかに洗練することだけが本当にできることだと、生徒と素人さんは思うようです。

ふーん、ということは続けていれば、時間が解決するっていうことかな?それとも、なにかやれることがあるのかな?
熟考、熟考、熟...熟睡 続く...

なぜ学びの場が必要なのか?

Wizard01
ふぇるでんは何か足りないと思って魔法学校の門をたたくことにしました。そこで大地とのつながりと再生という巻物をもらいました。それを開いて読んでみると...

強烈な情緒障害がなければ、完全に成熟した体において、運動は徐々に環境構造の要求にそう傾向があります。神経系はこの原則の影響を受けて発展して、運動に適するようになります。
しかし、我々の社会で、我々は、大きな報酬または激しい罰の見込みによって、多くの行為が除外されるか、制限されてしまい、神経系の偏りのない発達をとてもゆがめます。


その結果、我々は多くの取り払われた機能を取り戻すという大人の成熟を進めるための特別な状況を提供しなければならないということです。

大多数の人々は、(人がもつ能力や技術の)全範囲の中の特定の動作を教えらるだけでなく、決して除外されたり、無視されるべきでなかった運動および姿勢のパターン(原型)を改善する必要があります。

まず、言語を公正に操る力があることが適切な研究の助けになる文献学の場合のように。
運動についての確かな基本的な知識が得られたとき、さらに一般的なより高いレベルの指導ができます。

いきなりかい!気絶   続く...

臍下丹田

Feldenkrais_1

すでに確かめてきたように、身体的な行動の適切な扱い方はこういうことです。

下腹部は身体の動きの始まるところです、

あるいは、より正確に言うと、あらゆる投げ技の決定的な瞬間に、地面に対して最小限に動く点です。

;そこは、体のあらゆる動きの始めに動く最初の場所なのです。

モーシェ・フェルデンクライス  (1962 ハイヤー 柔道 寝技)


We have seen that the proper manner of physical action is such, that the lower abdomen is the origin of movement of the body, or more precisely, the point that moves the least relatively to the ground, at the crucial moment of any throw; it is the first to move at the beginning of any movement of the body.

Moshe Feldenkrais (1962,HIGHER JUDO,GROUND WORK)

ほっとするときの呼吸

Hirune
フェルデンクライスをやっていると、運動の最適領域を見つけたことを確認する生物学的兆候がやってきます。自分自身の呼吸からその兆しを受け取れます。動きが適切なバランスを保つとき、変化が呼吸に起こります。呼吸は整って静かになります。そして、柔らかくて、長くなります。

時々起きる、特に長い吸う息は、変化の兆しですね。これって、ついに帰って来たということを知ったかのようなの自然発生的なホッとしたため息のようです。この突破は自発的に出てきて、作為的なエクササイズからあなたにふさわしい運動への移行のあかしを与えるものです。

意識的にほっとする安心の呼吸をすることはできないけれど、自身の体が独力で完全な呼吸を発見するまで、感受性の高い動き中でただようことはできます。あらゆる生成発展する動きのなかでは、正しい最高のやり方をあらかじめ知っている必要なんてありません。まあ、正しい最高のやり方があったとしてもね。自分の感覚のフィードバックを信頼すれば、自分自身のやり方を感じて、意図した動きに近づけていくことってやれます。

寄せては返す波のような動きをイメージしてもらえばいいかな。あるいは押さば引け、引かば押せという柔道の訣語にあるようなことでしょうか。動かしたい方向に動そうとするけど、身体の感じに譲歩してゆずって、戻り、そして待つ。

動きを生み出して、自然に広がり、その結果、少し引いていき、そして待つ。

そんな動きを繰り返します、毎回すこし違ったやり方で戻っていきます。

そうすると、その動きと広範囲の呼吸を誘発する領域が互いに一致するようになってきます。

いかに僅かな引きがこの呼吸を引き出す事に必要なのかわかることは興味深いことだと思いますよ。実際、ほんのわずかなゆずり(譲り)が主要な違いを生み出すんですね。自分の中の譲り合う感じが身体を細かく分けて、ほっとする余裕を生み出す。暑い夏ビールをきゅっと一杯もいいけど、夏の夜空を見上げて呼吸してみるのもいいものですよね。

みなさんに素敵な夏が訪れますように。(^^)/”

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