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フェルデンクライス・メソッドの教室:Awareness Through Movement


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パンツをはく型

pants
昨日、ドラゴン桜を見ていたら、「型にはめるな!」って言ってました。久しぶりにこの台詞聞いた気がします。学ぶ=真似ることから始めるってわけですね。最近のゆとり教育の揺り戻しみたいで面白いですね。一昔前ほど学歴重視社会ではなくなったから、受験勉強のやり方の総括をしようとしているのかなと思って面白く見ています。

型ってなんだろう?そうですね...パンツをはくことから考えてみましょうか。パンツは足から穴に通しますか、それとも頭から、たぶん足からですよね。穴が頭を通すためには小さすぎますから。

パンツをどのようにはきますか?右足からそれとも左足から足を通しますか?いつも同じなら、いつも片側に重心をかけて立っているのかもしれませんね。普段の無意識の習慣に気づくかも...パンツは両手でもってはきますか?

片手を怪我していれば片手しか使わないかも。バランスをとりにくくなってパンツをはくことがとたんに難しくなるでしょう。でも、普段使わない部分を動かすことになって、バランスがよくなるかもしれません。

例えば、古流武術で居合ってありますよね。畳の上に座った状態から日本刀を抜刀をする型があります。これって、実戦では立ち上がって戦うからこんな練習をしても役に立たないということはないわけです。座ることで刀を抜きにくくなりますから、習慣的には使わない体の動かし方をしなければならなくなります。そこで、新しい体の使い方を学ぶことができるわけです。きっと、普通に抜刀すればもっと速くなるということなるのでしょうね。

この意味では型とは制限をつけることで、新しい可能性を導きだすものということができますね。

さて、パンツをはくことを新しく学び直せば、逆にパンツを早く脱ぐことができるようになります。これって、重要なこと...です?

リラックスするということ

sleep
ストレス社会の中でリラックスをすることが重要だとは言われているけど、どのようにリラックスすればいいのかがわからないと言う話をよく聞いたりします。そんな話を聞くたびに思うんですけど、本当にリラックスの仕方を知らないのかな?質問している人が本当に問題にしていることはむしろリラックスしながら仕事をすることができないということなのでは?と思うことが多いのです。

リッラクス=休息なら十分休めばいいわけです。

え?心配事が山のようにあって精神的に休めないって?

じゃあ、好きな音楽を聴くとか、癒される景色や写真を見るとか、心休まる香りに包まれるとか、美味しいものを食べるとか...みなさん、すでに自分に会ったリラックス法を知っていたりします。あなたのストレス解消の手段は?と聞くと様々な答えが返ってきます。どうも、そこが知りたいことではないようですね。

例えば、

バリ島で優雅な時間を過ごしたとして、このリラックスした感じで仕事したいなと思うけどどうしたらいいのかな?

自然体(=ニュートラル)で仕事をしたいな。

それが知りたいことなのかな???

お互いに楽に楽しく仕事ができたらいいですね。
暑い夏、ちょっと昼寝でもしながら考えてみましょうか。


動きを解析する

angel

動きを考えるとき、一連の動きを意味ある最小単位まで分解してみようってわけです。これは、動きを言語のように文節化して単語としてとらえてみるという見方ですね。この動きの単語をManipulonと呼びます。文脈の中で単語の意味が変わるように、動きの文脈の中でこの動きの単語の意味することも変わります。動きの単語を考えてみることで動きの機能を考えやすくなります。単純な発想ですが、生活の様々なことに役立つと思っています。

このManipulonという言葉ってmanipulationから来たフェルデンクライス分野?の造語です。ニューロンやエレクトロンみたいに最小単位を表す概念を表すために作った単語なんですね。最小操作単位とでも訳せばいいのかな?でも、ちょっと長い訳語かも。一般的な訳語がないと思うのですが、ひょっとしてサイバネティクスとかに近い意味の訳語があるのかもしれないと思っているのですけど、どうなんだろう?

とりあえずはマニピュロンか...ちょっとこれじゃあ芸が無いかな。

論理的な思考法

logic
フェルデンクライスメソッドは私にとって人の生活をあたかも推理小説のようにミステリーを解くように読み解く面白さを提供してくれました。私がフェルデンクライスメソッドを通して学んだ、観察の仕方、推理の仕方というか発想の仕方の一部を紹介しますね。それは実はとても簡単な推論なんです。探偵の思考法とでもいいましょうか。

基本的な論理構造を分類すると、演繹法、帰納法、そして、アブダクションというものがあります。演繹や帰納と違ってこのアブダクションというアイデアはきちんとした訳語が決まっていないようです。辞書で調べても誘拐や解剖学の外転の意味しか載ってなかったり、間接還元法という訳語?これって背理法の意味もあるし、エパゴーゲとい訳語もたぶんアリストテレスから来ていると思うのですが、エパゴーゲはもっと広い概念の気がします。逆にいうと形式的に教えることが難しいから訳語が決まっていないのかもしれませんね。アブダクションは仮説法または発想法と訳しておくのがいいかな。

まず、ここでいう基本的な論理構造の分類を説明しておきますね。


演繹法Deduction
A:この箱の中の玉はすべて緑色
B:この球はこの箱の中から取り出された
C:したがって、この球は緑色。
前提としての知識AとAとCを結ぶ行為または操作Bを知り、結果としての知識Cを導くことが演繹法ですね。普通に論証といえばこの形式で説明されます。数学の証明などのように必然的な推論でその結果はまったく正しいわけです。

帰納法Induction
C:この球は緑色
B:この球はこの箱の中から取り出された
A:したがって、この球は緑色(に違いない!)
こんどは結論が正しいとは限りませんが、実験によってC、Bを繰り返すことによって、Aである可能性が高くなります。証明ではないですが科学的な発見のひとつの方法です。自然科学の研究に使われる推論ですね。ここでもBがCとAのつなぐプロセスになっていることに注意してね。


アブダクション(仮説法、発想法)Abduction
A:この箱の中の玉はすべて緑色
C:この球は緑色
B:したがって、この球はこの箱の中から取り出された(に違いない!)

これが仮説法(発想法)です。仮定と結論からその間をつなぐ行為または操作を推測している点です。いわば、探偵の思考法ですね。たとえば、犯行時刻は何時何分で血痕のついた紐と水たまりと死体がある..きっと犯人はこうしてああやったに違いない、そして、犯人は君だとかね。演繹法が一般から特殊へという結果の検証、帰納法が特殊から一般へという前提の推測ならば仮説法は一般と特殊をつなぐプロセスそのものの推測ということになります。

ball


私たちが普通行っている論理的な思考と呼ばれていることのかなりの部分はこのアブダクションではないのでしょうか。もちろん、このプロセスがすべてみつかり、全体がひとつの鎖として完成したとたんに他の人に説明するために演繹法で説明することになります。でも、発見する過程はアブダクションという推論をしているのではないかなと思います。ただ、経験を積み重ねることだけが発想を生み出すわけではないので、質的な経験に変化させる思考法が必要ですよね、これって、ちょっと、役立ちそうでしょう?そしてこの思考そのものを意識化して気づくことが発想を生みだすことに役立ちませんか?

フェルデンクライス博士はシャーロックホームズの大ファンだったそうです。私も名探偵コナンが好きです。もっとも怪盗キッドが好きなんですけどね。

想像上のアイデアをまるで具体的な事実のように生かす器用さ

landscape
今日は久しぶりに時間があったので、夕方散歩に出かけました。静かな夕方でちょっと幸せな気分でした。インターネットなどで世界中のボディーワークの流れをかいま見ることができます。きっとこれからこうゆう風な流れがおきるんだろうなとか考えながら、同時に自分はどうしようかなと思ったりします。ふっと寝た子を起こそうかな..などと思ったりもしますが、みんな好きなようにやるんだろうな、私も好きなようにやるんだろうなと思ったり...久しぶりに気楽な時を過ごしました。

さて、昨日はフェルデンクライスのアドバンスワークショップに参加しました。Dr.フェルデンクライスによる交通事故で片半身不随になってしまった青年のためのFIのビデオを教材に使ったものでした。とても興味深い学習でした。歩行器がないと歩けない方に対してなされたFIのバックグラウンドにあるアイデアはとても高度な動きを要求するものでした。もちろん、気持ちよくFIを受けている生徒さんは気づいていないと思うのですが、なぜ健常者と呼ばれている大多数の人にもできないであろう高度な動きを学ばせようとするんだろう?

私自身は日本文化で育ったため達人や名人と言われる人の動きを見たりする機会があったためでしょう。私がフェルデンクライスを始めたころは、フェルデンクライスメソッドのレッスンの中でこの動きの技をできるようにするんだなっ\(^^)/と魅了されました。
 フェルデンクライスメソッドって、高度な技を意味ある最小単位の動きまで分解して、それぞれを練習して、さらに組み合わせて目的とする複雑な動きをできるようにする。そして実際に必要なこと以上に複雑なパターンをやってみることで、必要なことを簡単にしたりするなどのさまざまな学習法のアイデアを使い、高度な技を短時間で効率的に学べるための方法だなと思っていました。確かにそれもあると今でも思います。

でも、フェルデンクライスメソッドを学ぶ中で障害を持った方にも高度な技のアイデアをバックグランドにもつ動きのレッスンを楽に、楽しく学ばせようとすることにびっくりしたものです。やっているうちにわかってきたことですが、高度な技を学ぶやり方を伝えることで、今の目の前の生活に即役立つことを身につけさせることができるんだなということなんですね。

例えば、バックグラウンドに高度な技を学ばせることがあるレッスンを教えることで、今、その歩行器をうまく使って楽に歩けるようにすることができるようにする。もちろん、歩行器をうまく使えればその歩行器はなくても歩けるようになるようにエレガントに構成されたレッスンですが、まず、今目の前のことに即役立つことに視点を向けた実際的なものなんだなと思います。レッスンの背景のアイデアは今のその人にとっては想像上のアイデアですが、まるでそれが具体的に出来ることとして学ばせるやり方はとても効果的なことのように思えます。

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